努力は手段

 

教育で努力や頑張りを肯定すること多いのは、目的設定し考え実行し継続することは有効な手段であるため、恐れず挑戦する心を育て、目的達成手段を獲得することに大きな意味があるから。だからそれ自体に価値があるわけじゃないと思うんだけど、大人になっても無意味な努力に価値を見出す人は結構多く、そう考えると教える段階で褒めすぎも良くないよね、と思ったりする。

努力は手段なので、達成する見込みがない、する必要がなくなったら価値などないと思ってる。もしそれでも続けるのは自己満足、本人の娯楽に他ならないので、それで努力しました!認めて!って主張するのはちょっと違うと思う。