つらいことあったからメモ見返し

自尊心の崩壊が引き起こされる出来事があったので、過去自分が書いてたメモを眺めてた。自分のことよくわかってるし、だからこそ心強いなと思った。見返せるように残しておく。

 

 

人間の感覚なんて何かと比べてのものでしょ。劣ってる、充実してないと感じる人は、誰か他人の行動ばかり見てるんじゃないの。何も知らなかった子どもの頃であれば、何も不満じゃなかったんじゃないかと思う。

 

会社への依存も、他者に依存していることと変わらない。不安定で不確実。自分でコントロール出来ない。依存を排除するのが、自分の目標。

 

状況が悪かったとか言って同情してくれるのはいいんだけど、忘れて欲しくないのはその状況で俺は自分なりにやって来たんだし、結果が全てなんだからどんなに過程が良くてもまぁ最終的にこうなっているんだから俺はゴミなんですよという気持ちで聞いている。

 

飲み会で色々話してて、幸福感の基準が低くなってない…?と言われたけど、たしかにそうですね。何かしていないと不安な感覚もなくなって、穏やかに日々を過ごせればいいよという気持ち。おじいちゃんになった。

メンタルやられておかしくなり、人生壊した人を間近で何人か見て来たので、精神的に不安定になることを一番恐れている。精神衛生上悪いと感じることを徹底的に排除し、良いと感じることに積極的に取り組もうという意識。取り組んでみて、あまりにも脆弱であれば、それも排除してる。拒否する物事は多くなりがちで、得られたはずであろう利益も失っているのだと思うけど、人生を毀損することの恐ろしさには敵わない。

 

承認欲求に飢えるのは普通の感覚だよ。特に絶賛された経験があれば、その快感を忘れられないものだと思う。

他人の羨望を浴びることの心地良さを知っているものだけが承認欲求に飢える。自分が持っているもの、受けたことを、人が羨む経験というのは一度受ければ消えない。

 

楽しくない、面白くもないことに取り組んでいると、失敗した時に何も救いがないと思います。

 

危機は日常にこそあるものであり、天国への道を貪欲に探していたら、地獄の門開いてた、なんてことがないようにしなければならない。

 

自分に自信がないのは、人に認められたい裏返しなんだと思うんだけど、そもそも1人1人のことなんて誰も気にしてないし大した価値もないので、それに気がついてパッパラパーやりましょうよ。

 

安易に死ぬなんて言うな!と言う人間は、自殺しようと思ったことないだろ。お前の物差しで人は生きてねえぞ。死にたいから死にたいと思うんじゃないぞ、生きてるのが辛いから死にたいと思うんだぞ。

 

10代から20代前半を振り返ると、えらいね、凄いね、と褒められたかったのだろうけど、求めに応じた行動をして褒められても、全然気持ち満たされなかった。客観的に見れば他人からの承認を十分に得られても、自分の望む水準でなければ不満が残った。一方で、承認されなくても自分が望む形に出来れば満足感あった。シンプルなことだけど、自分の行動と結果に納得感を得られれば、それで良いのだと思う。

 

不安になると気持ちが不安定になって攻撃的になる。逃げる人もいるのかもしれないけど、自分の場合は攻撃してしまう。

 

苦労に対してあまり利益を得られなかった経験が、高コストな貢献を自制させている。

 

結果の平等も、機会の平等も要求しない。あるがままを論理的に説明出来ることがあればそれでいいです。

 

自分の納得感を何をするにも大事にすべきで、他人に自分の評価を委ねることは、にある自分の感情を、さらに不安定で不確実にするものに他ならない。感情の決定権を他人に譲るなかれ。

自分がコントロール出来ることは自分のことしかない。

 

凡人な社会不適合者なの生き辛いこと多かったけど、人の意見気にならないときマジ安堵感溢れてるからこれつよい。

 

 

直面していることは現実なので、それを受け入れることだと思う。でも実際は…とかはない。物事の評価には、それに合った物差しがある。現実に不遇な扱いを受けたということは、自分の評価はそういうことなのである。自分の性格をよく理解しつつ、現実を現実として捉えてほしい。大丈夫、大丈夫、大丈夫。