思い出だけで生きていられる。

 

入社したばかりの時、とても可愛がってくれた先輩が居ました。右も左もわからない私を気にかけてくれ、仕事も教えてもらったし、ご飯も一緒に食べたり美味しいもの教えてくれたりしました。未成年だったけれど、お酒も教えてもらいました。最寄駅のトイレで気持ち悪くなってたのは思い出です。

丁度親と同じくらいの年齢で風貌も似てて、実家が地方で親には会えなかったから、親代わりの様に私も慕ってた。その先輩には子どもが居なくて、奥さんも数年前に亡くなっていたから、もし居たのなら子どものような年齢の私を可愛がってくれたんだと思います。

先輩達の補助として勤め続け、年明けから1人で一つの地区を持つことになりました。その人も「これから一緒に仕事出来るの楽しみだな!」と言ってくれました。私も嬉しかった。楽しみにしていました。

その後年末に差し掛かり仕事が忙しくなって来たので、お互い話すことは少なくなりました。久々に一緒に昼食を取った時私の家族の話をしていて、私に成人した姉が居ることを知って「今度紹介してね」と言われました。私も笑って了承し、写真がなかったので、今度取ったら見せる約束をしました。50代のおっさんがそんな感じなら日本も安泰だよね。

その日の午後、気付くと席に居ないため聞くと、体調不良を理由に早退していました。また明日だな、と思いました。

でも望んでいた明日は来なかった。翌日出社してすぐ、その先輩が亡くなったことを知った。心筋梗塞だった。

何だかわけがわからず、ぼーっとその話を聞いていましたが、不思議と普通に仕事もすることが出来ました。でも、残業はせず早く家に帰ることにしました。家に帰って1人になると、急に現実として感じられ、ボロボロ涙が出て来ました。元々涙もろいタイプなのですが、入社してから泣いたことはなかったのに、その日は一晩中泣きました。今まで大事にしてもらったのにろくにお礼をすることが出来なかったことを悔やみました。

翌日はよっぽど元気なかったのか、随分と職場の方には気を遣っていただきました。葬儀には身内と役付きの人が参加でしたから香典だけ出しましたが、それだけでも少し受け止めることは出来ました。その後はしばらく落ち込んではいましたが、やらねばならないことは山積、働く毎日でした。

だからその件に関して何もしませんでしたが、時間は偉大だなと感じる点は徐々にその人のことについて話せるようになることです。しかも楽しい話を。バカやってたよね。あんなこと言ってたな〜。みたいに。その人は私達をまた幸せに、明るくしてくれているんです。

大切な人が亡くなってどんなに悲しくても楽しい思い出は消えてなくならない。むしろ思い出すのは楽しいことばかりで、笑って話せるようになる。今は辛くて逃げたくなっても、その人がまた幸せな気持ちにしてくれるのを楽しみにする。そう思えるから生きていられる。