くたばれ優等生

 

人事異動があり、青春時代を過ごした街で働くことになりました。上司と職場へ挨拶を行った帰りにつらつらと書いています。

 

私は決して優秀なタイプの人間ではないので、一番にはなれず、良くて二番手、三番手の人生。

対して勤め先にはいわゆる優等生として人生を歩んで来た人が多い。良い大学を出て、高校では生徒会や部長をやっていました、成績は一番でした。実に華々しく、未来を背負って立つような若者達です。

そんな彼彼女らに半ば憧れを、半ば恨めしい気持ちを抱き眺めていたからか、特に二十歳前後の自分は嫉妬で心を焼き尽くすような思いをしていました。

スタートを同じくした人、あるいは少し遅れてスタートした人にも簡単に抜き去られ着いて行くのがやっとで、自分はやれば出来るんだという脅迫観念にも似た感情は自分の無能さを直視出来なかったのだと思います。

本当に自分ダメじゃんと思うのは、現実に向き合って受け入れることに7年もかかってしまったことです。才能がなく努力もしないならコイン投げる運頼みでしかないのだから、不満言わずにコインの表裏どちらも受け入れるべきだと思うのです。

優等生な彼彼女らにも悩みはあって、それはいつもコミュニティで先頭を走って来たので、並走されたり抜かされたりする耐性が全然ないことです。罵られる経験あまりなかったみたいです。だから詰められて心折れる人、自分がやりたいのはこんなことじゃないと他へ行く人、結構いるように思います。元々ゴミみたいな私には無縁の世界。

今から必死に努力する人間には、染み付いたダラダラ根性抜くの相当難しいから中々なれないと思います。シャツのボタンをかけ間違えたことを最後に気が付いても、戻れないことはないけれどめんどくさいなぁと思うものじゃないですか。それが出来る人は、やっぱり優秀なんだろうと。

優等生になれず、気まぐれとハッタリと運で生き残って来た私のようなタイプは開き直るしかないのです。自分の意思と行動が結果を変えられるならば努力すべきだと思いますが、そうじゃないことの方が圧倒的で、その1つ1つに心を動かしていたらキャパ持たないに決まってます。

自分が出来る範囲を気が向けばやりその結果を受け入れ慣れるのが最適解じゃない?と思うのが今の私です。ちなみにタイトルは本音です。以上になります。