パフォーマンス記録(2020年3月)

 

パフォーマンス 

当月 -9.51%

(株式 +4.31%、投信 -15.32%、DC -17.08%)

年初来 -16.34%

(株式 -8.09%、投信 -16.42%、DC -23.69%)

※算出方法は以下の通りです。

リターン率=(期末評価額-期首評価額+当期配当-キャッシュフロー)/(期首評価額-当期購入額)

 

資産状況

リスク資産割合(リスク資産/資産) 26.02%

純資産(資産-負債) 当月-2.61% 年初来-4.62%

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※2014年10月(20歳時点)を100として数値化、四半期及び当月表示

※2015年4月に贈与を受けたこと、2019年8月に記載漏れのあった確定拠出年金を加えたことで、当該月の変動が大きくなっています。

 

雑感

 先月、コロナやばいね!みたいな感じでしたが、今月の方がやばかったですね。給料3ヶ月分のお金なくなりました。メンヘラ相場ちゃんとの結婚指輪代です。

 個別株は微妙にプラスで終えています。コロナ直撃を受けたところか、経営がお粗末なところは相変わらず売られていますが、戻したところも多いのが今の相場だと感じます。たまたま当たるのは運のように思えるので、運命力で乗り切ってる私です。

 DCを投信オンリーにしたのは15年ごろでしたが、それ以来の含み益は今月分をもってすべてなくなりました。本当にありがとうございました。そりゃみんな含み損だわさ。

 労働は異動が残念な感じでしたが、労働者ってそんなもんだよなぁという気持ちで受け止めています。大人になったんだね。えらいえらい。

 お金増えないのつまんないね!収まってまたお金増えるターンを心待ちにしております。今月は以上になります。

 

労働再確認

 

新年度となりました。株をやっていることもありまして、年度で区切るのはあまり節目として意識してはいませんが、新しい職場になり心機一転ということで労働の再確認です。

 

位置付け。収入の土台です。株の利益は恐怖の報酬ですが、労働は我慢の報酬です。我慢を続けることで上手く行こうと行くまいと収入が得られます。良い時のリターンはさほど受けられないけれど、悪い時でもそこそこリターンが得られる特徴がありますので、土台に据えて株式や不動産など他セグメントを安定させる役割と考えています。無産階級に生まれた人間は、ここをスタートに発展と栄光を目指します。

振舞い。コスパを良くすることを心がける。労働の収入を決めるのは、どの産業のどの会社に入ったかであり、その中では学歴と資格と年齢で序列が形成されます。実力主義とは言い換えれば好き嫌いで序列をつけることであり、客観性のある年功序列で学歴主義の方が公平な人事制度であると私は感じています。これを念頭に置き、自分の限界を見積もります。そうすれば、心を痛めつつ働くことに価値を見出すこともなくいられるでしょう。

評価。時間単価で測るべきと考えています。若過ぎるため差があまりなく、単位当たりに多くの収入が得られているなら良いです。弊社賃金体系は賞与が占めるウェイトが高く、残業を重ねるよりも労働時間を徹底して減らすことで時間単価が上がります。コスパ重視。

展望。立場を活かし良いものに出来るでしょう。知識と経験あることには自信を持って取組み、その逆にはよく学び教えを請い素直に聞き入れることを忘れないでいるべきです。人間誰しも完璧にはなれないです。例えるならばルービックキューブみたいなもので、一面を綺麗に揃えても全ての面を揃えるのは難しいものです。自分に足りない部分があるように、相手にもあります。その反対に優れた部分も同じようにあります。しょうがないよねの気持ちを常に持ちそれを愛することです。

 

労働はそんなに悪いものでもないです。適度な距離感と寛容さを持って接すれば、人生を豊かにする最も良い活動だと思っています。万国の労働者に幸あれ。

 

くたばれ優等生

 

人事異動があり、青春時代を過ごした街で働くことになりました。上司と職場へ挨拶を行った帰りにつらつらと書いています。

 

私は決して優秀なタイプの人間ではないので、一番にはなれず、良くて二番手、三番手の人生。

対して勤め先にはいわゆる優等生として人生を歩んで来た人が多い。良い大学を出て、高校では生徒会や部長をやっていました、成績は一番でした。実に華々しく、未来を背負って立つような若者達です。

そんな彼彼女らに半ば憧れを、半ば恨めしい気持ちを抱き眺めていたからか、特に二十歳前後の自分は嫉妬で心を焼き尽くすような思いをしていました。

スタートを同じくした人、あるいは少し遅れてスタートした人にも簡単に抜き去られ着いて行くのがやっとで、自分はやれば出来るんだという脅迫観念にも似た感情は自分の無能さを直視出来なかったのだと思います。

本当に自分ダメじゃんと思うのは、現実に向き合って受け入れることに7年もかかってしまったことです。才能がなく努力もしないならコイン投げる運頼みでしかないのだから、不満言わずにコインの表裏どちらも受け入れるべきだと思うのです。

優等生な彼彼女らにも悩みはあって、それはいつもコミュニティで先頭を走って来たので、並走されたり抜かされたりする耐性が全然ないことです。罵られる経験あまりなかったみたいです。だから詰められて心折れる人、自分がやりたいのはこんなことじゃないと他へ行く人、結構いるように思います。元々ゴミみたいな私には無縁の世界。

今から必死に努力する人間には、染み付いたダラダラ根性抜くの相当難しいから中々なれないと思います。シャツのボタンをかけ間違えたことを最後に気が付いても、戻れないことはないけれどめんどくさいなぁと思うものじゃないですか。それが出来る人は、やっぱり優秀なんだろうと。

優等生になれず、気まぐれとハッタリと運で生き残って来た私のようなタイプは開き直るしかないのです。自分の意思と行動が結果を変えられるならば努力すべきだと思いますが、そうじゃないことの方が圧倒的で、その1つ1つに心を動かしていたらキャパ持たないに決まってます。

自分が出来る範囲を気が向けばやりその結果を受け入れ慣れるのが最適解じゃない?と思うのが今の私です。ちなみにタイトルは本音です。以上になります。