Kaedeソロはじめます。を伝えるライブ2019春

 

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4月27日(土)、かえぽソロコンに行きました。会場は鶯谷東京キネマ倶楽部です。馴染みある土地で好きな人がライブやる、しかもデビューライブなのは嬉しいです。

 


最初こそ緊張していることが表情から歌声から伝わりましたが、歌ううちに伸びやかさが増した声を会場に響かせていました。哀愁漂う歌声にどこか物憂げで色っぽい眼差しが好きなのですが、今日はステージを照らすスポットライトも相まってよりその魅力が出ており、今日も虜になりました。クラウドナインを最後にもう一度いいですか?と最後に歌いましたが、いつもより力強く歌っているように思いました。やりたいからやっているんだと、その力強い言葉は歌声に乗り、聴いているこちらも今後の活動がより楽しみなライブでした。

 

 

20代の目標(労働編)

 

最近、自分自身が労働へ不満、不安を感じること、他人のそれも聞くことが多かったので、自分は労働で何を得ようとしていたのか改めて考えた。

なぜ働こうと思ったかと聞かれれば、そういうものだと思っていたというのが正確な回答である。生産手段も目ぼしい資産も持たない家庭に育ったので、大人になれば勤めに出て金を得て生活をするものだと思っていた。だから労働で何を得たいなど考えたことはなかった。あえて言うなら金を得て生活するためであった。

働くことの意味として途中で加わったことは、日々の大半を占めるのだから、面白さや達成感が欲しいというものであった。長年かけて何かを成し遂げたいという感覚に近いものであるかもしれない。

実際働いてみて感じることは、まず金銭面で言えば生活するには過剰なほど給料があることである。生活するために働くという考え方では、この先も懸命に働き続けるインセンティブなどすぐなくなってしまうのではないかと感じている。

精神面で言えば負荷が重すぎる。ほとんどは人間関係である。合わない人、害を及ぼす人とは不利益をもたらされるから関わりたくない。なのに関わらないとそれはそれで不利益を与えられがちなので、何これ詰みゲーじゃんっていう感じ。思っていることを黙っている、反対に思ってないことを言う、そういうことが出来ないしやりたくないのは、向いてない部分と自覚している。

もちろん精神面では悪いことばかりではなくて、知らないことを知ること、出来なかったことが出来ること、その過程は知的好奇心を満たして新鮮な気持ちにさせてくれる、学生時代によく感じたあの喜びとほとんど変わらないものであった。ただ、これのように瞬間では喜びを感じることはあれど、続けさせてはくれない。

会社は、労働者の希望と能力と適性を鑑みて働かせるのではなくて、会社で求められている職務に取り敢えず人をあてがうだけである。当然と言われればそうなのだが、わざわざ聞くそぶりを見せられるし、わかった、希望通りにするなどと返答するから期待してしまうのは当たり前じゃないのか。

会社も承認欲求を満たしてやろうと考えているのであろう。期待してる、必要とされる、頼りにされている、そんな言葉を言われる。でも、自分の求めているものと違う限り不満を抱く心が止まることはない。

この不満をなくすために、会社に主張し続けるのは無駄である。なぜならそれは今までもして来たし、期待させるような回答をしておいて果たさないのが会社である。そうやって誤魔化し続けるつもりなのである。

もう会社がそのつもりならば何も変わることはない。だから自分は、今の勤め先のまま会社員として自分の期待や要望を叶えてもらおうとするのではなくて、労働者としてその環境に身を置くことを許されるようになろうと思う。

そのためには自分の望む環境に移ろうとすることであり、今の勤め先ではそのための経歴だけ得ようと考える。

学生時代から会計に関わって来たのだが、会社で経理業務に携わるうちにより興味が湧いている。"真実を記録する" という考え方、目に見えないものよりも目に見えるものの方が好きな感覚とも合致して、理論を学ぶのも面白い。決算書を見て企業活動を想像するのも楽しい、自分ならどうすればいいか考えるのも楽しい、人に示すのも楽しい。出来ればこれにずっと関わって行きたい。

今の勤め先を辞めて他に行くとして、立派(に見える)な名札は下げて行きたい。「一部上場企業で決算業務に携わり、日商簿記1級を持っています。公認会計士対応も経験あります。」これだけで随分と輝いて見えるのではないだろうか。その名札で自分の可能性、行く先を広げることを20代の目標にしたいと思う。

人は人を名札でしか判断出来ない。それを変えることは出来ないから、人が判断する部分が自分の望む方向性において避けて通れないならば、しかたなくであっても立派な名札をぶら下げるようにしかないのである。それはあまり自分が好むようなやり方ではないのだが、最後に自分が労働に求める面白さや達成感を味わうために必要ならば、受け入れようという思いである。

 

Nao☆生誕祭 31st Anniversary ~菜の花娘に花束を~


4/14(日)、Negicco Nao☆ちゃん生誕祭行きました。会場は代官山LOOP。余談ですが、ずっと"ロープ"だと思って読んでました。英語が全然だめ。


前半対談、後半ライブの構成でした。

前半の対談は、Nao☆吉田豪、嶺脇社長の3者による対談。この人選、結婚報告して炎上した場合でも抑えられるだろう、という目論見があったそうです。

結婚報告することを当日非常に心配していたそうで、それは本人だけではなくて、嶺脇社長も待機して事に当たろうというものだったそうです。社長曰く、温かい言葉が多かった、胸に秘めた思いをぐっと堪えてそれでもおめでとうと言う、そういうヲタの心を思うと涙が出たとのこと。

Negiccoにも改名を希望していた時期があったそうで、それは名前の恥ずかしさからだと言います。それが変わって行ったのは、Tパレで売り出してタワレコに名前が出て、認知も広がって行く中でNegiccoが音楽をやっている存在として認められたからだと言っておりました。

後半のライブは、最初はソロ、最後はかえぽんちゃを含めてのライブ。

なおちゃんは高音の安定感が凄いです。伸びやかで胸に響く。ソロで歌っているとより強く感じました。硝子色の夏は圧巻でした。

Negiccoの3人ではいつものようにニコニコ楽しそうななおちゃん。一番子どもっぽい無邪気な笑顔を見せるメンバーが最年長、そして人妻というなんとも不思議な感覚。この温かい雰囲気は、家でも発揮されそう。


いつも通り笑いの絶えない現場で、でも環境は変わって行くわけで、なおちゃんが結婚しても、この雰囲気が続いて行くといいなぁと強く感じた一日でした。あと来世はバンドマンなる。