思考の柱を持ちたい


自分の中で、明確な思考の基準を設けることで、常に迷いなく生きたいと思うけれども、そもそも思考は、善悪だって時と共に大きく変化するのに、明確な基準など存在せず、すなわち持てるはずもないものを得ようとするから解決しない悩みがある。

 

倫理観の精査に、新聞テストと呼ばれるものがある。自分の行動が新聞に載ったとして、家族や友人、世間がどう感じるかを考えるというもの。人の良心に行動規範を置こうというもの。

これが結構難しく、ばらつきがある。これは人の気持ちを推し量れるのであれば有用かもしれないが、そうでなければあまり良くない。自分は後者であるから、ちょっと緩いとこある。

 

そうすると、判断基準を、非難されるかどうかではなく、罰せられるかどうかに置くことになる。

最低限の話じゃないか?と思うかもしれないが、ルールがなぜあるか?という部分まで考えるとこれが難しい。

難しいのだが、ルールには理屈があって、ルールを掘り下げて知ることは、理屈を知ることである。理屈を腹落ちさせて、自分の判断基準とする。この繰り返しをすることで、良い判断が出来るのではないかとぼんやりと思う。