労働の近況

 

不満とまで行かずとも、モヤモヤした気持ちを抱えて過ごすのは負担になるもので、軽くする必要がある。

悩みを話して解決する人が一定数いるが、私もその手の人である。と言っても、ペラペラ話をすればすぐに綺麗さっぱり清々しくなるタイプではない。悩みや不満が気が付かぬうちにぼんやりと積み重なっていることが多いので、話をすることでハッキリ現実のものと認識が出来る。現実となるのだから悩みはより深く衝撃を与えてくる。

それでも解決に向かうのは、現実であるからこそ真剣に向き合うからであろう。負荷はかかるし時間もかかるのであるが、こうするしか私は知らないのである。だから今回も言語化する。

 

4月から新しい仕事をしているのであるが、仕事が山盛りで果てしない。才能も学もない私には、自分が正しいと思うことを貫くことは必要がなくて、正しいのだと示されたことに従うことが必要とされている。

私は人に素直に従うことがなかなか出来ない人間であるが、少なくとも会社では従う姿勢だけは示せるようにはなっている。

以前、気持ちが噛み合わずにすれ違いがあり、会社へ期待をしともに歩んで行く気持ちは既に潰えている。気持ちが向かなくなったが辞めてしまうのも癪に触ったし、何よりも生活があるので別の形でも良いからまともな人間を保とうと考えた。その1つが思考を無視してただひたすらに従うことであり、お仕えする方を決めて全力を注ぐことである。

人は感情の生き物なので、愛情は確実に人の心を動かしていた。人の心が動いてその気持ちが自分に返ってくると、自分もまた心が動いていた。私は心に決めた方に全力でお仕えして、その気持ちに応えていただければこの上ない幸せなのであって、1つの最適解であった。

が、会社はどうも私に嫌な思いをして欲しいのか因縁のある職場へと引き抜かれ、栄転だと周囲が口々に誉めると不満を口にすることさえ出来ず、謙遜した態度を取るだけであった。以前ならば素直に吐き出せた不満も、送り出し期待をしてくれる方を思えば言えず、職場の士気を下げる振舞いも出来ず、ただ毎日営業用の笑顔を売って過ごしているだけである。

ダラダラとまとまりなく書いていてしまったが、私のやる気を削ぎ、私が自らの手で取り戻したやりがいを再び奪われると、一体私はなぜあの時苦しい思いをして日々悩み生きていたのだろうかとやるせなくなってしまうのが、今のふわふわとした不満の正体である。